昨日、休業のお知らせの紙を玄関に出してくるのを忘れてしまった。
一応いつものオープン時間に合わせて出勤する。 出勤途中に代々木公園を通ったのだけれど、もうブラスが練習してる! 「はや!!」 しかも、結構音出てるし。 さてさて、無事に張り紙も出したし、再び代々木公園へ戻ろう! 今日は猛暑日の予報だ。 暑さになんか、「めげないめげない、めげちゃダメ」だわ。 #
by fridas
| 2007-08-11 10:27
| 日記
いよいよ今週末ですね。第6回東京プライドパレード。
土曜開催になってからは、仕事を休めず参加できなかったのですが、今年は思い切って休みにしちゃったよ。 パレードに参加できなくて、何のための自営業じゃー。 コミュニティーから遠ざかっている期間が長過ぎ、一緒に行く人もいないわーと思っていたら、地元から友人&彼女が上京参加することが判明! 一緒に歩く人も出来たし、今からすごく楽しみですたい。 去年はすごい雨が降ったんだよね。 今年はどうか晴れますように。 #
by fridas
| 2007-08-07 18:23
| 日記
16(月)11:20~上映の「夢見る魔女たち ガールズ短編集」を見た。
※もう見終わって1週間経ってるので、「今更・・・」感が濃厚ですが、一応ね。 『強盗だ、手を上げろ!』 主人公の突き抜けた間抜けっぷり故のかわいさ加減は、おばかキャラ好きの私としては、分かる。でも、一番かわいいのは主人公につき合わされ強盗する破目になった婚約者のぽっちゃり王子だ。ストッキングをかぶった写真HPで見てみて! 『夢みる魔女たち』 パートナーの血を引く子供が欲しいと願う主人公が、パートナーの兄の精子を盗みに(「どうやって?」、「手コキでだよ!」)、キャッツアイばりに潜入する。 こういうコメディ仕立ての作品は、扱う主題にのれないと辛い。手コキシーンは面白いよ。でも私には血の繋がった子供が欲しいという執着が今のところない。子供を育てられる環境があれば、親のいない子を養子にもらうことは考えてみるけどね。 『ハング!?』 グウェネヴァー・ターナー 監督作品なんだねー。今データを見ていて気がついた。 彼女が主演した「Go fish」(94年)は、私が初めてL&G映画祭で観た思い出深い作品です。 チンコがあったら、何しますか?自分だったら何するかなー。ネタとしてそんな話を友人とするのは一興かも。 『イノセントな心』 主人公はトランス指向があるようなんだけど、トランス指向がない女子(レズ、ヘテロ問わず)も、押し付けられる女子的装いが窮屈だったり嫌悪感を感じたり、けっこうするよね。私もそう。 私は全然ボーイッシュなタイプでないけど、この主人公と同じように、たまーに化粧をしたり、スカートをはいたりするときは「女装する」感覚です。そう思うようになってかなり楽になりました。 『家族のキズナ』 んーと、途中でネタが分かったと友人も言っていたし、某ブログでの感想でもそう書いてありましたが、私全然気がつきませんでした!主人公のグジグジぶりにすげぇイライラしてたから見過ごしたのだろうか。その落ちも何だかなあ・・・ ※映画の詳細についてはこちらをご覧下さい。 しかし、3日間映画祭に通ったんだけど、「久しぶりー」な友人と「こないだはどうもー」な方とが知り合いだったり、友人の友人だったりと、かなりの確率で繋がってて業界の狭さに今更ながら驚いた。 そして、モトカノの後姿を一瞬見かけて、思わずちょっと追いかけてしまった自分に、もっと驚いた(結局声は掛けなかったけどね)。 #
by fridas
| 2007-07-23 21:14
| book&cinema
15日(日)16:45~上映の「NYカンタービレ」を見た。
一応、ざっとあらすじ(超ネタバレ含みます。嫌な人は黄色い文字を読み飛ばして。)を紹介。 ※私的解釈です。ちゃんとしたのはHP参照してね。 付き合って9ヶ月経つ彼女に突然別れを告げられる自称作家(だって仕事しているとこ出てこないんだもん)の主人公は、傷心を抱えて出席したパーティーで自分の読者だという男性とイイ感じになり、一夜を共にする。後に共通の趣味(オペラ鑑賞)があること分かり、親密度はアップ。お互い一夜限りの遊びのつもりが、どんどん仲が深まって・・・ そうこうする内、(多分面白くないという評価の)映画を観終わって出てきたところ、自分と同じように感動して泣いて出てきた女性と意気投合。だんだん仲良くなり、相手の情熱に押し切られる形でベッドイン。 二股ラブは最初は楽しいものの、徐々に破綻。結局二人にばれるが、「一人のパートナーと人生を共にしていく」ことの大切さに気がついた主人公の気持ちがモトカノに伝わり、寄りが戻ってめでたしめでたしでジ・エンド。 主人公へダメだしは以下の2点。 ・二股かけるのは恋愛の基本的ルール違反でしょ! ・男子とセックスするときにはコンドーム使っても、その男子とついこないだまでセックスしてた女子とするときには何にもなしかい!グローブとかデンタルダムとか使わないのかー。 私は、レズが男とセックスしたっていいし、合意の下なら複数の人と同時に付き合っても構わないと思う。 彼女の間違いは、唯一、合意なく二股かけたこと。 どうしてこんなことになってしまったか? ここで再び「『受け』『攻め』パラダイム」登場! 主人公はタチネコでいうならリバだと思われるが、受け攻めでいうと、「ザ・受け」だと見ていて思った。 映画の中で、彼女は自分から決して仕掛けないのだ。 別れた元ノンケの彼女との始まりは向こうから積極的にキスされてだったし、読者男の時もそう。その後出会ったノンケ女子に至っては(まあ、その時点で男と関係があったからだが)「もう少し時間をかけよう」と押し止める努力は一応するものの「私としたくないの!」と詰め寄られ、「したい!」と答えてしまう。 あっちともこっちとも関係をもってしまう罪なやつ風に見えるが、現実には相手がかなり強引である。そこにはちょっと同情する。 彼女の不幸は、自分が究極の「受け」体質だということを自覚していないことだと思った。 自覚していれば、もっと違った展開になったはず。 あらすじの紹介では「レズビアンの主人公が自身のセクシュアリティーが揺らぎ始め・・・云々」とか書いてあったんだけど、揺らいでたかな。正直伝わってこなかった。 とにかく「一人の人を愛し続けることの意味に目覚め、幸せになりましたとさ」という結末はノン・モノガミーな私には大いに不満なものだった(ふがふがと鼻息荒くして表参道下って帰ったさ)。 モノガミーな人には納得の結末なんだろうけれどさ。 ちなみにこの作品、会場の受けはすごくよかったです。 隣に座っていたゲイのカップルさんは「2丁目でもよくある話だけど、舞台がNYってだけでオシャレ~よねー」と観終わった後言っていたし、観ている間もすんごい笑ってた。 実際コミカルなシーンでは笑い声がよく響いてました。 ※映画の詳細はこちらを見てくれ。 #
by fridas
| 2007-07-18 18:36
| book&cinema
14日(土)21:00~上映の「TATTOO -刺青-」を見てきました。
ざっくりあらすじを申しますと 刺青の店を営んでいる竹子と、刺青を彫って欲しいと店にやってきたネットアイドル小緑の恋物語を軸に、刺青、ネット上の仮想アイドル稼業(その内実は性風俗業と紙一重だ)など、現代の若者を惹きつけている文化・風俗を織り込んで、「なぜ、若者がそういう世界に惹かれていくのか?」を問う って感じでしょうか(あくまで私的解釈)。 見終わってすぐ思ったこと。 「この映画、別に女同士じゃなくてもよかったんじゃない?」 竹子が高校生の頃。「行かないで!」と泣く弟を振り切って、恋する彼女に会いに行った夜に大地震が起きる。地震と父が逃げ遅れ亡くなったショックで幼い弟は解離性記憶障害になってしまうが、病気になった原因は(弟のそばにいなかった)自分にあると責任を感じている。 「自分のせい」の中身が「家族を捨て、恋人のもとへ走った」ということなのか、それとも「恋の中身が女性同士であった」からなのか、その両方だからなのか、はっきりしない。 きっと異性愛だったら何も引っかからないところなんだろうけれど、竹子の腕に彫られた彼岸花が、「地獄への道行き、不吉さの象徴」とされているように、女性同士の愛がまるで不幸を呼び込むような印象を観客は受けてしまうのではないか?監督にそんな意図があるのか?と訝しんでしまった。 まあ、結末が希望のあるものだったので、少なくとも「女性同士の恋愛=不幸」という意図はなかったと分かるのだけれど、結末を見るまではちょっと不安だったよ。 見終わってから、本当に女同士である必然性がないのか?について考えた。 答えは「否」。 このストーリーが(特に竹子の心に大きく影を落とすことになる大地震の夜、恋人に会いに行く場面が)成立するには、竹子がレズビアンである必然性があると私は思う。 読み解く道具として採用したのは「『受け』『攻め』パラダイム(友人ぽーさんに視点を与えられた)」。 弟を大切にしてきた竹子が、泣いてすがる弟を振り払ってまで、恋しい彼女に会い行くには彼女が女であり、レズビアンであり、そして「ヘタレな攻め」である必要がある。 「ヘタレな攻め」というのは自分から行動を起こさない限り、コトが起きないと過信している節がある。自分に自信がなかったり経験が少なかったりすれば、「何か起きるかも・・・」と期待はしても「まさかね・・・」と高をくくっている。 だからこそ、「お姉ちゃんは勉強しに行くの!」と強弁できたのだ。 もし、竹子が男に会いに行くとしたら・・・ それはありえない。夜中に男に会いに行くということは「ヤリに行く」ということであり、「勉強しに行く」と自分に言い聞かせることは不可能だ。そして竹子は、幼い弟をおいて「ヤリに行く」女ではない。 もし、竹子が男で、相手が女だったら・・・ まず、弟は泣いてすがったりしないのではないか?一人じゃないのだ、家には父親もいるのだ。 母親に出て行かれて以来、母親の姿を竹子に見ていたからこそ、泣いてすがったのではないか?そして竹子が竹男だったとして、女に会いに(ヤリに)行くだろうか?私は行かないと思う。 そんな愚にもつかない妄想をひとしきりして納得した私でした。 以上を踏まえて、この映画もう一回見たいな。どっかで配給してくれるかな。 なんつってもこの映画の魅力は配役の妙。 主演の二人もすっごいカワイイしキレイなんだけれども、ほかの俳優さんたちもよかった。 ただ、カワイイ、キレイというだけじゃなく、役のキャラクターにそれぞれの俳優の持ち味がはまってた。 竹子役の梁洛施(イザベラ・リョン)は、88年生れのなんとまだ19歳!若いね!映画では26、7歳の設定だったから、てっきりそのぐらいかと思って見てました(ちなみに小緑役の楊丞琳(レイニー・ヤン)は84年生まれだそうです)。 高校時代の回想シーンは、すごく切なく美しかったので、欲を言えば、撮影の順序を最後に回して、本物のショートカットにしていただきたかったです。髪のきれいな女優さんですから無理だったんでしょうが、ショートカットすんごい似合う女優さんだと思うんだけどな。きっと萌え指数が激アップしただろうに。 #
by fridas
| 2007-07-17 22:28
| book&cinema
|
ファン申請 |
||