「分かち合う愛 」の感想
映画祭の会期中、行ける日がこの日(15日の昼)だけだったので見ることにしたのだけれど、ポリガミーという関係性について、このところ思考を巡らせている私としては、出会うべくして出会う作品だったのかなと思った。 タイトルの「分かち合う愛 」という言葉には多分に皮肉が込められている。 一夫多妻制度は、あくまで男性に都合の良いものであり、現実に女たちは傷ついたり、苦しんだりしており、現実は「愛を分かち合う」というようなキレイゴトではないのだ。 なんだけれども・・・ 登場する女性たちは、本当に逞しい。 葛藤しつつも、現状を受け入れて生活しながら、今後の新たな生き方を模索し、実際に足を踏み出してゆく。 それも、ひょいっと。気負いなく。 現状を「仕方ないわ・・・」と受け入れた時と同じように。 「頭の中で何を考え、心の中で何を感じたか?」ということよりも、「色々あるけれどさ、生活していかなきゃ!」ってところが描写の中心。 グダグダ感なく、清々しい。 そして男たちも、おバカで何か憎めないキャラクター設定になっていて、完全ヒールではないところが、またリアル。 「あんたのせいよー」と憎んだところで、現実が変わるわけじゃない。 おバカな男でも愛したのは(生活をともにしたのは)確かな現実。 この映画の中では、一夫多妻制度は「ひとつの現実」として描かれている。 ポリティカルなメッセージは控えめだ(1話目に、一夫多妻制度を受け入れ生活する主人公を非難する大学教授が出てくるが)。 主人公たちは、みんなモノガミー的関係を望んでいると、自分では思っているという設定だと思うのだけれど、生活のためや世間体のために現状を受け入れるのだし、将来の夢のために複数の男性と恋愛関係になったりしている。 「制度としてのポリガミーとは別に、自分でも気付いていないところでポリガミー的関係性(ポリアモリーと表現すべきなのかも)への親和性がそこにある」とも言えるのではないか? 「分かち合う愛 」というタイトルは、皮肉でもあるのだろうが、そんな含みも持たせてあるのかなと感じた。 一番痛かったシーン。2話目で、三人の妻を持つ夫(その後4人目も持つのだが)が性病に感染しているとは気付かずに、妻たちに感染させていることが判明。しかし妻たちはそれを夫には言えず、内緒で治療をするというくだり(それじゃ意味ないのだけれど)。 性病の感染は一夫多妻制度だけが悪いのではない。セイファーセックスの知識のなさとパートナー間の関係性の問題。ここのところは分けて考えないと。 余談:整理券をもらい忘れていて、最前列で見る羽目になり、すんごい目が疲れました・・・ DATA ■ 原題:Love for Share ■ 監督:ニア・ディナータ ■ 制作国:インドネシア ■ 制作年:2005年 ■ 上映時間:120分 story ■ 産婦人科医のサルマは息子がまだ小さな時に夫に2番目の妻と娘がいることを知り、ショックを受けるが、苦悩しながらもやがてその事実を受け入れていく。やがて息子が成長し、夫は政治の世界へと足を踏み入れるが、相変わらず2人の妻を持つ父を息子は理解出来ずにいた。一方、美容学校へ通わせてもらえるという約束で叔父の家にやって来たシティは、イヤイヤながら叔父の3番目の妻にさせられてしまう。自由を奪われた生活の中、シティの心の救いは2番目の妻ドゥイの存在だった。また、レストランで働きながら女優を目指すミンは、既婚者である店主に求婚されるが…。 commentary ■ 第14回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭でオープニングを飾った「アリサン!」を監督したニア・ディナータの最新作。 インドネシアに暮らす年齢も、社会的地位も、出身も全く異なる3人の女性が、「公正な婚姻関係を結び、妻を同等に扱うならば」 4人まで妻が持てるという一夫多妻制度の中、葛藤しながらもやがて新たな道を見つけ出す姿をユーモアを交えて綴ったオムニバス・ドラマ。 バンダアチェの津波を背景に、所々で交差する各エピソードのどれもが現代インドネシア社会をリアルに切り取った重みのある作品であると同時に、 逞しく生きる女性達への賛歌になっており、爽やかな後味を残す。 ※DATAは、AQFF公式サイトより引用させていただきました。
by fridas
| 2007-04-25 11:43
| book&cinema
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